ガンプラを巡る事件

人気のあまりに事件も発生する

ガンプラブームを巻き起こしてた当初、ガンプラを巡って事件が多発していた時期もあった。その中でも初期の事件として有名なのは『傷ついたガンダム』というものが流行したときのことだ。ガンダムの改造で火で焼いたピンなどでガンプラを傷つけるというのがブーム当初流行っており、この時に使用することになる火が傍らの接着剤や塗料に引火して、火事が起きるという事件が多発することになった。ブーム時期1982年3月から5月という僅か三ヶ月の間で5件という多さとなっており、いずれも全焼や焼死といったケースに発展している。原作の中で起こる傷ついたガンダムを作ることによって、人とは違うオリジナリティを出そうとしたのかもしれないが、その改造によって自分だけでなく誰かを殺しかねない惨事にまで発展してはどうしようもない。これはあまりに軽率で稚拙な行動だったとしか言えないだろう。

ガンプラを極める

ガンプラ欲しさに

1/144のガンダムが品切れになったという時期、ガンプラ欲しさに小中学生を始めとして人々が店舗に押しかけることが多発していたが、そんな中で事件が発生する。事の発端は1982年1月24日のことだ。千葉県のダイエー新松戸店でガンプラを購入しようと開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による、将棋倒し事故が発生してしまうのだった。これにより、約数十人が負傷して、内4人が重傷を負う大事件となってしまったのだ。どんなに考えてもあの狭いエスカレーターには最高でも2人、もしくは3人しか乗れないのに、そこへ一気に人が我先に買おうとして集中してしまったのは、これは店側の誘導ミスということになってしまうだろう。この事故は社会的にも大体的に報道され、事故の原因となった品切れとなっている工場への非難が強まってしまうことになってしまった。この事件は後に『ガンプラ将棋倒し事件』という名称が付けられることになった。

品切れ不足を起こしている工場としても、その事実は当然のように把握していた。しかしその予想を大幅に上回る需要に耐えられずに、工場としてもその全てをまかなうことができなくなるほどの限界まで追い詰められていたのだ。にも関わらず、その状況を把握していない一般人からは、工場が故意に品切れにしているのではないのかという声を上げるが、ほとんどお門違いだろう。今でこそ機械の生産でかなりの効率上昇を見込めているが、この当時まだそこまでの技術もなかった事を考えれば当然だと考えられる。そのため当日とめいた作業員達はほぼ24時間フル稼働して生産ラインをまわし続けるという過酷な労働を強いられていた。事故が発生する前の前月12月には月産で400万個生産したにも関わらず、その莫大な注文には到底届くことはなかったという。それほどまでに人気が過熱していたということになるが、これではパンクして当然の摂理として考えられるだろう。当時勤めていた人たちは本当に頑張っていたのだと、感心してしまう。今の、少しいやな事があれば仕事を放り投げてしまう若者達と比べるなんていうことも出来ないほど、頑張っていた。

結果的に見ると、本来予想していた売上数はバンダイが予測していたものより約14倍となる約700万個以上が生産されたという。想像を絶するような数だ、もちろんこの数を出荷するときも相当の苦労が要された。工場ではパートの女性たちが身の丈はあろうかという荷物を梱包を、ほとんど力技で片付けていたというのだから、相当に切羽詰った状況であったのだろう。もはや修羅場が連続している漫画家のような状況だ、それ以上かもしれないが。

その後慢性的な品切れに陥っていた中小の小売店にも徐々に供給されるようになり、騒ぎは沈静化の方向へ進んでいった。

大人が子供からガンプラを奪う

品切れの影響は社会的にも広がっていく中で、ガンプラをようやくといって手に入れることの出来た人々に第三者の魔の手が襲い掛かることにある事件が発生してしまう。何と、ガンプラを購入することができた子供から、良い大人がガンプラを奪うといった『ガンプラ狩り』という事件が発生することになる。

また、品薄状態を狙って他の商品との抱き合わせで販売するという、店舗が利益工場重視で行なってしまうなどの問題も発生してしまい、その際には本来の購入金額よりも上がってしまうので、買えるはずだったのに買えなかったという人が続出してしまう。

さらには品切れ不足が続いているのは工場外として生産を止めていると思い込んでいる人たちが、工場へと赴いて直談判するということも起きてしまう。最悪なケースとしては、本来立ち入り禁止となっている工場内に進入して、ガンプラを盗むといった犯罪行為を平然と行なう人々も出始めてしまうのだった。

もはや治安という言葉とは程遠い状況となっているので、現代に住んでいる私からすればあきれるほど情けない事件ばかりだ。いつの時代にも、こうした人々がいては世間をにぎわせているので話題には事欠かないのかもしれないが、人間的には大いに問題が多すぎる。それほどまでに旋風を巻き起こしていると思えば納得がいくかもしれないが、さすがに子供から奪うといった行為はいただけないだろう。ガンプラ欲しさに、本来300円ほどで買える商品以上の代価を支払うことになってしまった人たちは、後になって相当後悔した事に違いない。

プラモが好きすぎて生きるのがツライ

モデラーも遂に認めたガンプラという新時代の気鋭

良悪、どちらの性質をとっても当時の日本をにぎわせることになったガンプラだが、その人気に当時航空機などのミリタリー系のプラモデルを作っていた人たちも戦々恐々とこの事件を静観していたという。さすがにこれだけ世間で騒がれることになれば、注目しなければならないということだ。当初こそ、ガンプラなどという訳の分からないものを認めていなかった原型士たちもいたが、爆発的な人気で一気に加速していくことになるガンプラには驚かされていた。そして中にはガンプラの製作依頼が舞い込むようになり、そのことをきっかけにしてガンプラの勢いが今後の業界を通しても目を離すことの出来ない存在となった、と天を仰いで観念したモデラーもいたという。

それだけ当時のからその勢いが凄かったということだが、それはバンダイにとっても、そしてモデラーにとっても予想なんて言葉で片付けられないような社会現象となって体現したことは、両者に様々な影響を及ぼすことになったに違いない。