ガンプラブームの到来

ファーストガンダムの登場

1979年に放送されたファーストガンダムは放送当時こそそこまでの人気があったわけではなく、最終回直前になって作品の知名度が急激に上がり、放送終了後の再放送が行なわれたことで人気が加速することになった作品となっている。後からじわじわと作品の世界観に後押しされてその魅力の取り付かれていったということだろう。ただ当時のテレビ放送時はバンダイではなく、玩具メーカーのクローバー社がスポンサーとなっており、ガンダム関連商品の販売を手掛けていた。

ところがこの商品はあくまで児童向けの合体玩具として扱われており、当時のロボットアニメのキャラクタービジネスとしては当たり前だったが、ガンダムを愛する人々と商品の購入する対象年齢層について差異が生じていた。また、宇宙戦艦ヤマトが人気を博していたこともあり、大和のプラモデルも発売されていたが、主な購入層はやはりやや高めの年齢層が圧倒的に占めていた。それまでのおもちゃ的商品よりも『大和』に登場した鑑定のスケールモデルの人気が高いことを把握していたこともあり、これにより従来のキャラクター物のプラモデルとは異なる構図となり、その後ガンダムをプラモデルとして商品化してほしいという要望が増えていくことになるのだった。

ガンプラを極める

遂に発売されたガンプラ第1号

その後万代は他の作品も含めてシリーズ化されていた『ベストコレクション』の第4段として、初回放送終了から半年が経った1980年7月、『1/144ガンダム』の販売を開始するのだった。遂に誕生したガンプラ1号となり、当時の値段としては1/144で一個300円となっており、男児向け玩具としては超合金シリーズなどと比べて低価格で取扱われていた。

初めの頃こそ、同時期の子供向けロボットプラモデルの中では特に目立つ商品ではなかったものの、もデラーがミリタリーモデルの発想で改造を施した作例が、模型雑誌『ホビージャパン』別冊の『How to build Gundam』に発表されると小中学生を中心にブームが巻き起こるのだった。更に1981年に創刊された『コミックボンボン』はガンプラを前面に押し出した紙面構成を行なっており、ガンプラとは無関係な『てれびくん』も、一時期ガンプラ特集を掲載していた時期もあった。そして一時は模型点では品切れを起こす店が続出する店も増え、当時の新聞では『機動戦士ガンダム、販売に機動力なし』と書かれた。

便乗する作品が続々登場

ガンプラの品薄状態という人気の高さに便乗して、類似商品、もしくはガンプラに対抗したシリーズが出回り始めるようになった。このブームに合わせるようにバンダイも次々と『機動戦士ガンダム』に登場した兵器などをキット化して、ほぼ全てを商品化した後は、アッグシリーズのように本編未登場の平気もキット化されて『モビルスーツバリエーション』の展開へと繋がるようになるのだった。これらの一部には後に製作された『機動戦士Ζガンダム』・『機動戦士ガンダムΖΖ』に追登場した他、ガンダム以外のサンライズ作品などのメカもキット化されるようになるのだった。

プラモが好きすぎて生きるのがツライ

商品展開は止まらず

ブーム後も販売は年々継続されていくことになり、その人気の根強さはバンダイの『男の子のサンリオ的な商品としてガンダムを育てあげたい』という方針へと転換するようになって、現在まで販売されるようになるのだった。その後のシリーズとして放送されている作品も商品化されていき、販売店も模型店や玩具点に留まらず、家電量販店などで発売さするなど販売店の増加にも繋がったことで、今やガンプラの出荷数は国内外で今も増え続けている。

CM

ガンプラブーム初期、まだインターネットなどで商品情報を入手するという技術もなかった時代では、人々はテレビで流れているCMで新製品の情報を入手していた。それはガンプラも同じことで、当時は主力商品をミニチュアとして使用した特撮CMが多数作られたのだった。

特にジオン軍の工場の中で次々と新型モビルスーツが生産されるさまを描いたCMにあった『ジオン脅威のメカニズム』というナレーションが有名で、ジオンの部分を置き換えたパロディねたとして使用されることも多くなっている。

またブーム最盛期にはラジオ番組『アニメNOW!』内でもCMが流れ、永井一郎によるナレーション、及びCMソングであったがその内容は劇中より大きく逸脱した物となるのだった。

近年では特撮CMの他にも、タレントを起用したCMや、プロモーション用に製作されたCGアニメ『GUNDAM EVOLVE』のダイジェスト映像を使ったCMも放送されるなど。内容に付いては様々となっている。